静岡県の熱海市で欠かせない二社である伊豆山神社、来宮神社をご紹介します。
いくつかの伝承、富士山と近隣の関係、わからないことも多いですが、とても興味深い土地である熱海。
街としては枯れ果てそうな時期もありましたが、現在は再生し大変な盛り上がりをみせています。
いくつかの要因が推測されていますが、土地と人々のエネルギーが活性化した結果ではないでしょうか。
伊豆山神社から来宮神社は車なら15分。
電車の場合は45分、バスなら30分程度のようです。
伊豆山神社の参拝は最低30分、本宮に行くなら+往復2時間みた方がよいでしょう。
来宮神社は30分あればゆ〜っくりとまわれますね。
境内にカフェもあるのでお茶するのにも最適です。
伊豆山神社
とても奥が深い神社で、熱海〜伊豆の地を語るには欠かせない一社といえそうです。
創建は不明ですが、社伝によれば孝昭天皇の時代 (紀元前5〜4世紀) とされています。
伊豆という名称は「湯出づる神」である当社に由来するそうです。
平安時代後期 (1000年以降) に山岳修験霊場として有名になり、熊野信仰とも結びつき全国に末社があります。
関八州 (おおよそ関東地方のこと) の総鎮護とされていました。
鎮護は仏の力に頼る概念なので、仏教色の強い一面があったようですね。
現在はアメノオシホミミ神とその家族がまつられていますが、伊豆大権現、伊豆御宮、伊豆山、走湯大権現などと呼ばれる神さまがまつられていたそうです。
山、温泉、漂流物への信仰が混ざり合っていった、と考えられそうです。
鎌倉幕府 (1185年〜) の将軍が毎年正月恒例の行事として、伊豆山神社、箱根神社に参拝したそうです。
これを二所詣といい、源頼朝から始まりました。
戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川氏からも崇敬され、武家が誓をたてる起請文 (誓約書のようなもの) には、当社の名前が書かれました。
神に誓って……ということだと思いますが、とても強い力があると信仰されていたのだと想像します。
手水舎に龍は珍しくないですが、赤白二体はなかなかお目にかかれません。
これは伊豆山の地底に赤白の二龍が和合して横たわっている、という伝承に由来するそうです。
おそらくこの龍は富士火山帯に関するもので、調べると周辺地域との関係がみえてきてとても面白いです。
走湯山縁起 (鎌倉後期) という古文書によれば、伊豆山の地底には赤白二龍が和合して横になっているとされています。
尾は箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、頭は日金山の地底にあり、両目、二耳、鼻穴、口中にあたる場所には温泉がわいているとされています。
熱い海と書いて、熱海。
これも温泉のことでしょうか。
富士山から来宮神社まで直線のラインを引き、その先にあるのは錦ヶ浦。
二龍が精気を吐き、赤白海水に交わる、これが二色浦 (錦ヶ浦) の由来になるそうです。
また二龍はアメノオシホミミの随神(=守り神だと思います)と言われ、赤は火を、白は水を表し、火と水の力でお湯を生み出す温泉の守護神に繋がります。
伊豆山神社と箱根神社の神さまをチェックすると、血筋のつながりを発見することができます。
伊豆山神社の神さま
- アメノオシホミミ神
- タクハタチヂヒメ神(嫁)
- ニニギ神(息子)
箱根神社の神さま
- ニニギ神
- コノハナサクヤ神(嫁)
- ヒコホホデミ神(息子)
伊豆山神社と箱根神社は繋がりが深いといえそうです。
箱根には九頭龍神社、熱海には海底遺跡、錦ヶ浦の先にある初島・龍神宮の剣城伝承、また初島は三島の天地創世にも登場、富士山から東南のラインはとてもミステリアスです!
境内にある電電社。
鎌倉時代の歴史書には「光の宮」という別名が記載され、当神社の神さまである伊豆大神の荒ぶる一面がまつられています。
火山帯とあわせて推測すると、不思議な自然現象が起こったと想像できないでしょうか。
高麗山から道祖神と共に来た神さまが降り立つ光石と伝わります。
道祖神についてはサルタヒコとアメノウズメと解説されていますが、高麗山の由来からすると渡来人のことを言っていると考えられそうです。
当社では「光」がよく話題にあがりますね。
当社の神さまは初めに(近隣の)日金山に降り、その後、本宮山を経て、現在の伊豆山にお鎮まりになったそうです。
本殿への参拝も大事ですが、当社の場合、(写真にある) この先の本宮へ参ることで伊豆の神さまの本質にせまることができそうです。
残念ながら足をすすめることができなかったので……次回かならずや……。
来宮 (きのみや) 神社
全国に44社あるキノミヤ信仰の総本社。
坂上田村麻呂が勝利を祈願し、全国に分霊を祀ったことで広がったそうで、神奈川西部から伊豆半島に広く分布しているそうです。
木宮、貴宮、黄宮、木野宮、紀伊宮などと書かれ、おまつりする神さまは一定ではないようですが、樹木か漂着物にまつわる傾向があるそうです。
また、忌の宮として、物忌みに由来する説もあると言われます。
物忌みとは、一定期間飲食や行為を慎み、不浄を避けて心身を清浄に保つことをいいます。
来宮神社の場合は、伝承からすると漂着物に由来するようです。
創建は定かではないようですが、710年にイソタケル神をまつったことが神社としての始まりになるそうです。
熱海の海に木像らしいものが流れ着き、また童子があらわれイソタケルを名乗る。
童子が「波の音が聞こえない地にある、七体の楠の祠にまつれ」と言われ、探し行き着いたのが当地、という伝承によるものです。
しかしオオナムチ神が家をかまえたと言われ、神木の樹齢は2000年、熱海の地主神と記録されていること、周辺事情などから考えると、もっと前から特別な場所だったのではないかと想像します。
樹齢は2000年。
本来は創建の伝承にも大きく関わる7本の楠があったそうですが、地元民の訴訟費用を捻出するために5本が切られてしまいました (1800年中頃) 。
現在の1本も切ろうとしたところ、白ひげの老人が現れ……といった伝承が残っています。
事情はいろいろあったのでしょう。残る楠に感謝であります。
イソタケル神は樹木の神さま、木を連想させるキノミヤ。
同じ神さまをまつる伊太祁曽 (イタキソ) 神社とも何かご縁があるような気がしますね。
おまけ
もう少しディープな熱海に触れたい方には、興亜観音をオススメします。
詳しくはホームページをご覧ください。
http://www.koakannon.org/