鎮座地
大阪府大阪市東住吉区矢田7丁目6−18
祭神
素盞嗚神尊
天児屋根命
事代主命
創建
平安時代初頭
806-809年頃
由緒書から
- 阿麻岐志の宮とや呼ばれる
- 天美の地名由来
- 式内社
- 江戸時代にあった伝承として、奈良時代の高僧・行基が住んでいたという話あり。神社北西の大和川に行基大橋という橋あり、由縁する
- 明治までは天見山の山号の神宮寺があった
Wikipediaから
- 金剛寺本では、祭神は1座とされている
- 阿麻比古命(アマヒコノミコト)が主祭神だった説あり。許曾(こそ)が尊にあたるらしいこと、一帯が中臣氏の支配下だったことが背景
- 物部氏の彦己蘓根命(ヒコソネノミコト)が祭神説あり。先代旧事本紀に推測できる記述ありが背景。物部氏が滅んだあと中臣氏が入れ替えたのでは?説
- 創建はもう少し古いと考えられているらしい
- 許曽は新羅の言葉に由来するとされ、朝鮮半島からの渡来人が先祖を祀ったのでは?という説あり
- 行基の件は江戸時代以前には話題になっていない、行基の年譜には出てこないらしい。ゆえにただの噂に過ぎないかもしれない。
- 矢田村の氏神だったが大和川の付け替え=人工的に流れを変える工事で分断される……ということがあったが、詳細はwikiで。
- 樹齢500年を超えるクスノキがある