祭神
主祭神
シタテルヒメ
配祀
- スサノオ
- アジスキタカヒコネ
- オオオバセノミコト
- オオホザキノミコト(仁徳天皇)
- タチバナノトヨヒノミコト(用明天皇)
だけど1
江戸時代 1790年ぐらいまでは、牛頭天王をまつる牛頭天王社だった
だけど2
- 古事記には、新羅から来たアカルヒメノミコトが難波の比売碁曽の社に坐すと記されている
- 日本書紀にも同様の記述がある(ディテールがちょっと違う)
- 延喜式神名帳では下照比売社が比売許曽神社であると記載され、アカルヒメノミコトを祀る赤留比売神社は住吉郡にあると記載されている
- 当社は比売許曽神社の論社のひとつであり、もうひとつは高津宮の摂社
- 大分にも姫島があって比売語曽神社がある(船で渡らないといけないとこ)
創建背景
- 垂仁天皇(11代・632-730)の時代に、天王寺区小橋町一帯の高台に下照比売命を祀り、「高津天神」と称したことに始まると伝えられる
- 当社の境外末社・産湯稲荷神社がある地が旧鎮座地と推定されている
歴史
- 1500年代、織田信長の石山本願寺攻めで社殿を焼失
- 社伝では、神体は焼失を免れ、摂社であった現在地の牛頭天王社内に遷座したと伝えているが、事実かどうかは不明
- その後荒廃し、所在が不明となっていたが、1788年、ある者が比売許曽神社の旧記神宝を発見したと唱え、それに基づいて比売許曽神社の縁起が編纂され、牛頭天王社を式内・比売許曽神社に当て、下照比売命を祀ってこれを主祭神としたとされるが、これも真偽不明
- 大阪市の調べによると、当地は湿地帯であった期間が長く、当社ができたのは近世ではないかとしている
アカルヒメについて
- 新羅の女性が生んだ赤玉。これを新羅の王子であるアメノヒボコが手に入れると、乙女となりアカルヒメになる
- ヒボコはアカルヒメを妻にしたが侮辱したところ、アカルヒメは祖国・日本に帰ると言って難波へ渡る
- 古事記、日本書紀にいずれも記述があるが、摂津国風土記では、筑紫経由で摂津にきたとある
シタテルヒメ、アメノサグメと混同されることが多いという解説を見つけることができる
補足
- このエリアは新羅から来た人が多く住んでいた解説を見つけるることができる
- ちなみに、周辺は焼肉街である
- 赤玉は呪具として実際に使われていたような記録があるとか
その他
疫病が流行った時に、お告げによってひめこそ団子を発売&ヒット
産湯稲荷神社
- 比売許曽神社の旧社地、現在は御旅所で末社
- 社記によると当地の開拓神である大小橋命は天児屋根命の十三世の子孫、ここ味原郷に誕生、境内の玉井を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という
- 隣接していた「味原池」は、アメノサグメが天の磐船に乗って天降られた霊地とされている
- 『摂津名所図会』には、「下照比売、亦の名稚国玉媛(ワカクニタマヒメ)或いは天探女とも号す。」とあり、混乱しているようだ
- 上町台地には所々に井戸がある。大坂城につながっているとか言われたが、台地の水脈。龍脈的?
参考
http://kamnavi.jp/ym/hiboko/himekoso.htm
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/135.htm
http://www.y-tohara.com/hime-kouzu.html