今回のご紹介する氷上姉子神社は熱田神宮の境外摂社にあたりますが、熱田神宮の前身となるエピソードをもつ神社です。
熱田神宮は草薙剣を御神体とする神社であり、草薙剣は日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物の1つです。
これは我が国にとって国の体裁にかかわる、とてつもなく重要な物です。
草薙剣には別名がいくつかあり、代表的なものに天叢雲剣があります。
氷上姉子神社は熱田神宮にとって元宮と呼ばれる神社です。
原点であり、より深い歴史がありますので、神社好きにはたまらない存在の1つといえるでしょうし、知っているとちょっと自慢できるかもしれません(笑)
そんな当社は五社で構成され、是非すべてお参りしたいところ。
今回はその五社をめぐる旅をご紹介したいと思います。
現地ついてから急いでまわれば45分ぐらいでば全てまわれると思いますが、1時間みておくとゆっくりまわれると思います。
住所:
愛知県名古屋市緑区大高町火上山1-3
駐車場あり
氷上姉子神社
創建は195年、現在の地に落ち着いたのは690年。
尾張の開拓神である天火明命の子孫で、尾張の長官であった乎止与命の館跡に、宮簀媛をまつったことが始まりです。
現在の社殿は明治26年の熱田神宮改造時までの、別宮八剣宮の本殿を移築したものだそうです。
神明社
本殿がある境内を西側の鳥居から出ると、道を挟んだ対面に鳥居があります。
この先へ進んで少し歩き、火上山へ入ると神明社があります。
(小さな山なのでご安心を)
こちらには天照大神がまつられます。
スサノオがヤマタノオロチを退治することで手にした剣はアマテラスに献上されました。
その後、剣は神宮(伊勢)に納められていましたが、ヤマトタケルが神宮参拝時に倭姫より授かります。
駿河国のヤマトタケルに訪れた危機でこの剣は大活躍し、そのエピソードに由来して草薙剣と名付けられました。
ヤマトタケルはミヤズヒメと結婚し、ヤマトタケルはミヤズヒメに草薙剣をあずけて次の賊征伐へむかいますが、その先で病を患い帰らぬ人となってしまいます……。
元宮
神明社より更に先へすすむと、元宮にたどり着きます。
こちらにミヤズヒメがまつられ、そしてこの地はミヤズヒメの住まいだったとされています。
愛する夫をなくしたミヤズヒメは、草薙剣の霊威にかしこまり、床を設け安置。
その後現在の熱田神宮の場所へ剣をうつし、奉仕に務め生涯を終えた……とされています。
ヤマトタケルと草薙剣の役割はとても重大だったと想像しますし、ミヤズヒメの奉仕も理解はできるのですが、草薙剣はカタミとなったわけなので、そこに添い遂げるのは夫への愛だったのではないかなぁ……と想像してみたいところでもあります。
一夫多妻の時代でしたが、それゆえに女性の一途な思いはより際立ったのではないでしょうか。
改めてお伝えしますが、こちらが草薙剣の守護始まりの地、ここで何らかの霊威を感じる方もいらっしゃるようです。
朝苧社
本殿の東側の住宅地内にある朝苧社。
まつられるのは氷上老婆霊。
氷上の地の地主の神であり、ミヤズヒメの母と伝えられます。
乳の出ない婦人が祈るとご利益がえらえるといわれ、「乳の神」として崇敬されているそうです。
Googleマップで位置は確認できるのですが道が途切れているので、どこから行くのかとてもわかりにくいです。
社務所で尋ねると道順を教えてくれますが、社殿の北西にあるほぼ私道と思われるところから森へ入っていくような感じになります。
車を停めるところはないので歩いていきましょう。
森は少し荒れているので足もとに気をつけてください。
神明社、元宮のある火上山はとても大事な場所だと思いますが、こちらもこの土地に住まわれる方々には大事な場所である気がします
玉根社
本殿がある境内の西側の鳥居を出て通りを右にすすむと、熱田神宮に供えられるお米を作る大高斎田があります。
これを越えると少彦名がまつられる玉根社があります。
ここにまつられる由来ははっきりとわかりませんが、国づくり、知識、医薬、穀物などにまつわる神さまです。
指導者的な神さまが、神聖なお米をつくる田んぼを見守る……。
なんだか良い感じですね。
古い書物によると他にも摂社末社があったようなのですが、現在確認することは難しいようです。
住所の秘密
氷上姉子神社は「火上山」にあります。
住所は「火」がつくのに、神社の名前は「氷」、あれれ?な感じですね。
いつ頃のことかまでは調べていないのですが、当地では民家がたびたび火事にあったことから、「氷」に変えたことがあったのだそうです。
神社の名前はそれに由来し、住所は現在、元来の「火上山」となっているのだそうです。
火上山という地名は、前述の天火明命に由来しているのでしょうか。
草薙剣にまつわるもう一つの神社
草薙剣が保護された場所は、氷上姉子神社、熱田神宮の他にもう1社あります。
それは岐阜県高山市にある水無神社です。
こちらで草薙剣が守護されたのは1945年8月22日〜9月19日だそうです。
ポツダム宣言を受諾し、マッカーサーが厚木に降り立つ約1週間前に、熱田神宮から移されたそうです。
その目的は避難。
国の体裁がどうなるのかわからない時期のことでありました。