息子が高校を卒業、3年間をざっと振り返る長文

子ども雑記

息子が高校を卒業しました

新コロの影響で3月頭から休校となり、その後は再開なしでいきなり「終了のお知らせ」的になってしまい、なんとなく薄味、消化不良、素っ気ない感じの後味を感じている真っ最中です。余韻はあるんだけど、何か埋まらない感じがしています……。

通っていた学校の卒業式は小中高の卒業生をみんなで祝う形で行います。これまでに何度か参加して見るたびに感動していたんだけど、今回あえて感動量で比較してしまうと、もっとも感動しなかった卒業式かもしれない(笑)

高校生は2月に卒業発表なるものがあり、そこで出しつくしているせいか、卒業式ではサッパリした感じで登場。最後のスピーチもあっさりめな感じだったんです。

それでも、小学校から12年間過ごした子がいたり、寮生活でいつも友だちや大人がいる環境から切り離されたりするので、それぞれ色々な思いがあることは伝わってきて、それは複雑な味なんだけど、後ろ向きではなく未来へ向かっている感じがしたので、とても心地が良いものでした。

前談はこれくらいとして、息子の高校の3年間について振り返ってみたいと思います。

 

 

ざっと振り返る3年間

我が家の大きな方針は、自分がやりたいことに気づいて、見つけて、そこにむかって頑張って欲しいをベースに、息子ができるだけ多くの体験をできるように、機会提供を促進するというもの。

学校では、自己決定、個性化、体験学習、寮生活、イギリスとの深い交流から様々な体験をしていけるけど、環境がとても閉鎖的なので外の世界を見せていくことが親として意識していたこと。

この3年間で息子へ提供できたものをあげてみて、ちょっとコメントつけてみます。

プログラミング学習
ゲームばかりするなら作る側へどうぞ……から促進し、これは中1から継続していたもの。Life is Techという隔週末通い型のスクールを利用。プログラミングの概念が理解できたのは中3ぐらいで、楽しくなり始めたのは高2ぐらいからだった様子。この継続が進路に大きく影響をもたらすことになりました。

Life is Techでは、学生メンターから大学の話を聞けることが、1つの情報源にもなっていたようです。

仙台方面へ一人旅
中学で演技に興味を持ったようなので、高校生の最高レベルを見せるために、高校演劇の全国大会を見てきなよ……からの一人旅。何かと旅慣れている息子ではあるけど、一人旅は初めて。宿の手配、費用提供は全てこちら。ちょっと心配ではあったけど、こっそり見ていたSNSで満喫している様子をキャッチ、被災地も見て回っていたようで行かせてよかったと思いました。

オンライン英会話
シンガポールでキッザニアのインターン体験
フィリピンに短期留学
将来はやりたいことをやればいいと思うけど、何も見つからない場合もあるので、英語、プログラミングはやっていた方が得という考えがあり、なかなかモチベーションが出にくい英語だけは、少々強引に経験させていました。フィリピンへ行かせた時、本人は少しナーバスになったけど、やはりSNSで満喫している姿をキャッチ(笑) 本人も自信につながった模様。

AO入試対策塾
AO入試は推薦入学の1つ。学校がこれを推奨しており、息子ももれなくこれを活用……というか一般的な試験で受験する気なし的な。彼が目標としたのはSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)で、AO入試でもかなりの難関へトライすることに。おせじにも準備が早いとはいえず、ここは思い切って大きな投資(片手ぐらい)。この模様はこの後に書くことにします。

こんな感じかな。この他、住み込みのバイトをしたり、稼いだお金で友達と旅行したりしていたけど、それは自主的な行動ということで。

 

英語でスピーチ(シンガポールにて・当時高2)

 

高2の時に大きく成長した印象。その背景にあるものは?

高2の半ばぐらいから雰囲気が変わったというか、レベルアップというか、面白い青年になってきたかも……と感じるようになりました。要因はしばらくわからなかったんだけど、どうも彼女ができたことが大きかったみたいです(笑)

息子はよく言えば真面目、全体が良くなることを考えられるタイプ、取り組むことは熱量を持って向き合いたいという傾向があります。しかし周囲が必ずしもそうというわけではなく、中学の半ばぐらいからもどかしさを感じて過ごしていました。

高校でもそれは変わらずのスタートだったみたいだけど、彼女とはこういったことをちゃんと共有できて、共に前へ進める関係を築いているようでした。いや、正確なことはわからないけど、僕らからはそういう風に見えていました。

僕らが高校の時の恋愛は好きか嫌いか程度の話だったけど、二人からはパートナーシップのようなものを感じられ、ええ関係やな〜と微笑ましく思っています。そして息子を成長させてくれてありがとう。

 

彼女が作ったシュークリーム。僕にもくれました(笑)

 

進路、AO入試あれこれ

結果を先に行ってしまうとSFCは不合格となり、少し彷徨った結果、2020年4月に東京で新設される大学で、プログラミングを学び続けることになりました。今そこに明確なモチベーションがあるようだし、親としても特に不満なしの結果となっています。

AO入試といっても大学ごとに傾向がだいぶちがうようで、特にSFCは頑張れば誰でも合格できるようなものではないようだし、そして倍率も8〜9倍で超難関といっても過言ではない、というのが終わった時に身に染みてよくわかりました(笑)

SFCでは志望理由書を提出するのですが、これが大層難しい。ちょっと違う点もあるかもしれませんが、自分の認識をざっと書くと、

  • 解決したい社会課題について
  • そこにフォーカスする背景
  • 解決手段についてどう考えているか
  • SFCで学ぶことがその解決についてどう繋がるか

について2000字でまとめなくてはなりません。テイストとして、自分の人生と社会課題が繋がっていることは当たり前みたいなところがあって、そこが抽象的だったり、こじつけだったりするとおそらくことごとく不合格になると思われます。
(ネットに志望理由書サンプルが転がってるので探してみると面白いですよ)

AO入試対策塾では、社会的な基礎を学ぶような座学、自己探求・分析を数十時間かけて徹底的にやるといったプログラムがありました。え?就職でもするんですか?みたいな雰囲気でした(笑)

自分が参加していないので詳細には書けませんが、目標が難関だけにハードな日々となっていました。結果として息子は志望理由書を5〜6回は書き直していたし、途中(マジで)泣きながら迷いながらになっていたし、提出前日は徹夜しながら12時間ぐらい塾で過ごすといったことがありました。

準備に入るのが遅かったと思うし、そんなん当たり前やろ……な部分もあると思いますが、息子の人生の中でもっとも追い込まれた瞬間であったことは間違いないでしょう。

そしてこれは難しいだろうなぁと思い始めると、次の学校探しをしなければなりません。AO入試は推薦の一種ですから専願が前提です。複数の学校へ同時にアプローチできないし、行きたいと思える学校と日程がマッチするとは限りません。そんな最中、息子は一旦燃え尽きてしまったので学校探しにしばらくスイッチが入りませんでした……。

なので、こちらでマッチしそうな学校をピックアップして、日程表を作り受験できそうな学校を探すという作業を行い、大阪芸大を次の候補とすることを提案。本人もオープンキャンパスに参加していたことや第一希望にしかけている時もあったので、意見は合致。

 

七夕の夜 = 息子誕生日。祈願しまくりの日々でした(笑)

 

SFCは不合格となり準備をすすめていきますが、大阪芸大は2日間の体験授業へ参加することが前提で、そこでの態度や提出物によってふるいにかけられます。逆にここをクリアすれば書類提出で落ちることは稀、という噂でした。

そして無事クリアしたのですが、どうも煮え切らない息子。ここからの選択肢としては大阪芸大に書類提出する、SFCの後期AO入試を受験するの二択かと思いきや、
SFCはもう受けないけど、東京行きたいんだよね
とカミングアウト。

何度か話し合うなかで出てきていたワードだったのですが、こちらの思惑として、地方で学ぶ方が彼にはマッチするだろう……等があり、納得する理由がなければYESとしないオーラを(僕が)出していたのでしばらく話題になってなかったのですが、再カミングアウトな発信を彼はしてきたわけです。

もったいねーーー!と思いながら大阪芸大への書類提出はなしとし、東京方面での学校探しが始まり、いくつかの中から選択された学校に進学が決まる流れとなりました。

大阪芸大も、進学が決まった大学も志望理由は書いていますが、SFCのような濃厚なテーマを求められないし、規定文字数も少ないので彼にとってはだいぶちょろいものになっていたようです。ある意味、SFCでの苦労が後にも効果していたという感じでしょうか。

長くなりましたが、受験のメインストーリーは以上です。6月の終わりから12月の上旬の話で、5ヶ月間ぐらいの話でした。

成績で選ばない学校探しはある意味苦戦するといえるでしょうか。高2からオープンキャンパスには行っていましたが、見て決めるというのが植え込まれ、見てないところには決めにくいというトラップが発動していました(笑)

まさかの停学事件!?

盛り込むのを忘れましたが、6月末に息子はしばらく登校禁止となりました。一般的な言い方だと停学というやつです。AO入試では学校から調査票を出してもらうのですが、素行が悪ければ出してもらえないわけで、ステージに立てずに終わるのか!? と1週間ぐらい胸が苦しい日々が続きました。息子も(いくつかの観点で)激ナーバスになり、この学校生活の中で最大の難局だったといえるでしょう……。

 

できれば進んでみてほしかった道について

中学でミュージカルを体験し、高校に入ってからも表現研究で度々演技を選んでいた息子。演じ分けることができるし、存在感のある芝居をするので、そんな彼には演技の道へ進んでみてほしいという思いがありました。

僕自身に演技を評価する技量はないけど、20代は芸能の世界で働いていたし、メジャーな商業演劇やドラマの現場にも立ち会っていたので、少々の見る目はもちあわせているつもり。僕はもう離れてしまったけど、とても面白い世界なので飛び込んでみてほしかった。大阪芸大へ行っていれば直接ではないにしろ、演技について磨くチャンスはあっただろうと思うけど、決まった進路はがっつりエンジニアになろうぜ!な感じなので、だいぶ道がそれてしまった……。

道を決めるのは息子だけど、ちょっと残念が本音であります。

 

レ・ミゼラブルで主演を演じた息子(当時中2)

 

卒業した学校について

小4から転入して高3まで子どもが過ごした学校。中学卒業までは新鮮なことも多く、保護者としてもコミットしていて、希望をもちつつ通わせていることを楽しんでいました。

高校になると学校や他保護者との距離感が変わりました。また5年以上関わっているので、良いところ、そうではないところの分別がつくようになっていました。なんだかなと思うこともいくつかありました。

保護者からの意見は(基本的に)とりいれないポリシーの学校なので、こちらから意見することはしなかったし、信頼していることは前提にありましたが、あまり情報が入ってこないせいか、少々ネガティブな視点が自分の中でうごめいていました。

しかし、前にも少し触れた卒業発表でその思いは一掃されました。卒業する25人の子ども全員が最大20分程度、学んだことについてプレゼンするのですが、これを全て聞くことができました。

本当に多様な個性で溢れていたし、すごく感動したし、話を聞いて何回も泣けたし、聞いている6時間の間、すごくいいエネルギーをもらってすごく幸せな気分になれました。みんなすごくいい感じに成長していると感じました。

全員ではないけど小学生から知っている子も多数、我が家に何度も泊まりに来た子もいるし、一緒にご飯食べた子もいる、大げさだけどみんな我が子よ!的な(笑)

道を決めた子もいれば迷っている子もいるけど、彼らはこれからそれぞれの道に進んで、山奥の谷底から解き放たれます。

二人にインタビュー

卒業発表は卒業生たちが自分で進行していきますが、イベントとしてトータルによくできたし、途中で使われた何本かの動画も保護者の間で評判になりました。これらの制作に息子カップルが深く関わっていたので、僕がインタビューを実施して制作秘話動画を作り、一部の保護者の方へ共有するといったことをしました。二人がインタビューにちゃんと答えてくれたのがとても嬉しかったし、そんな風に作ったのか!と驚きありました。

 

息子が作った卒業生のシルエット。カッコイイ!

 

卒業式でやらかす

卒業式でやらかしました!
誰が?って、僕がです(笑)

当日、卒業式寸前、
「最後のあいさつで歌いたいので、ギター弾いてくれませんか?」
というリクエストが入りました。

上條恒彦の「出発の歌」、渋い!(知らんけど)

ギターコードはスリーコードレベルなので、すぐ弾けるのだけど、

  • 僕がその歌を知らない
  • 歌い手が憶えているキーと、ネットで拾ったコードのキーが違う
  • ABメロはなんかわかりにくいのでサビだけ唄いたい
  • ちゃんとしたリハーサル的なものはなし

などで、結果ある種の大事故に……。

笑いと歓声に包まれ良い雰囲気ではありましたが、事故過ぎる……。その動画見たくない(笑) 息子も失笑していたとのこと(笑)

ですが、よい思い出となりました。

これを書いていて思い出しました。保育園の卒業式にて、オリジナルソングで担任を泣かすという企画をやったことあるんだけど、本件は12年越しのブーメランだったのでしょうか!?(笑)

 

やらかしてる模様

 

どうなるのか二人の未来?

息子と彼女は遠距離恋愛に突入します。これを書いている先ほど、しばしの別れを惜しみ?に、彼女が我が家へ立ち寄りました。短い時間だったのですが何を話したのでしょう? 隣の部屋にいたけど声はほとんど聞こえませんでしたw(※聞き耳はたてていませんよ)

今時はインターネットでいつでも繋がれるし、この学校での体験を共有していることは二人の絆を深めていると思うけど、これから新たな体験や出会いが沢山待っているわけで、二人の行く末が本当にどうなっちゃうのかとても気がかりです。

見送りついでに、彼女へ「Nulife」というタイトルのCDをプレゼントしました。本当は我が子たち、全員に配りたい(笑) Nulife = New Life です。新しい人生、新しい生活、楽しんで!

 

 

さいごに

これを書くことは決めていたのだけど、何書けばええのん?とモヤモヤしていました。が、思い出したまま書いていたらすげー長文になってしまった。年老いた頃に読み返したら楽しいだろうか。

我々夫婦も息子と離れ離れになります。といっても、今までも彼は寮生活で、週末に帰宅してもどこかへ泊まりに行くような生活だったので、その延長戦みたいなものですが。

とはいえ彼も一歩一歩大人になっているわけで、僕が実家に全く帰らないように、そのうち彼も帰ってこない日が来るのでしょう。それは寂しいようで、頼もしい感じもします。

なかなか終われないので、これで終了宣言。
おしまいです。最後まで読んでしまった方、ありがとうございました!

きのくに子どもの村学園、そして関わってくれた全ての皆さま、本当にありがとう!

中学卒業の時の振り返りは以下よりどうぞ。
子どもが中学を卒業、この一年間で起こったこと

この記事を書いた人

Webディレクションや動画編集を20年以上やっています。詳しいことはプロフィールをご覧ください。名前のところをクリックしてくださいね

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