スピリチュアルな学びをしていると「ハートをオープンに」という言葉が何度も出てきます。
最初は「なにそれ?」と思ったのですが、僕は「自分は感情に蓋をしている」と直感的に思いました。
あれから3.5年ぐらいがたち、今では「ハートをオープンに」が価値観の1つになっていることに先日気がつきました。
「ハートをオープンに」とはどういうことでしょう?
今の自分の見解を書いてみようと思います。
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「ハートをオープンに」を具体的なアクションで表現すると《感じていることを伝える》というだけになります。
しかしこれが何気に難しい。
感じていることは言えない、と率直に言われる方もいますが、感じていない、感じていることに気がついてない、感じていることを見て見ぬ振りをしている、感じていることをなかったことにしている、といったケースもあります。
僕はこのぜんぶに思い当たるところがありました。
ここにあげたような状態のまま過ごしてた自分は、特定の条件においてコミュニケーションがとても難しい状況にあり、その条件において一定以上の関係性を築くことができずにいました。
具体的な現象でいうと以下のような感じです。
- 感じていることが言い切れない。
- 感じていることを言うのが不安、怖い。
- 感じていることを言わずに我慢する。
- 感じていることはもう解決したと思い込む。
- 我慢や思い込みが溜まった結果、怒りをぶつけると共に、相手を攻撃したり、相手を否定したりする。
関係性とは自然に深まるのものではなく、和の精神、すなわち、自分も相手も尊重し受け入れることで深まっていきます。
互いを尊重するには、自己信頼、自己尊重なくしてはできません。
自分を信頼し尊重することもまた容易ではないテーマですが、1つ前の段落であげた5点は、自分への信頼や尊重が存在しておらず、自己否定からの他人攻撃になっていると考えます。
また互いに尊重しあうことは摩擦も起こします。
この摩擦を恐れ逃げてしまうと、やはり関係性は深まらず、相手への余計な思い込みが深まります。
関係性における思い込みは、相手が感じていることを想像し、それによって発言の内容を変えていきます。
たとえば、相手が怒っていると想像し、その怒りを回避するために自分が思ってることと少し違う発言に至ります。
しかし相手が怒っていなければどうでしょう。
会話にズレが生じます。
この想像をしたまま会話を続ければどうでしょう。
会話がどんどん歪んでいくでしょう。
よって、沢山の言葉を交わしたとしても、そのコミュニケーションは浅いままです。
僕はこういう状態をパートナーと10年近く続けていたことに後で気がつきました。
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3.5年前の自分と比較すると、ハートがオープンになってきたと感じています。
それはオープンの度合いでみているのではなく、関係性の深度やそのプロセスでみています。
わかりやすい例をいうと、パートナーとの関係がとても改善され強固になったと思っています。
学びの成果はある程度出ていると思っていますが、まだまだと気づくこともしばしば。
この学びに付き添ってくれた先生方やパートナーに感謝しつつ、日々精進です^^