紀元前90年、崇神天皇が、疫病の流行を祭祀で疫病を治めようとした。
天照大神と倭大国魂神を宮中の外に出すことにした
(天皇の寝室に祀られていたと説明する本があったような)
(宮中に祀られたのは孝昭天皇、紀元前475年らしい?)
天照大神は豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)に託して笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせた。
その後、倭比売が引き継いでいる。
(八咫の鏡をもって移動していた)
伊勢に落ち着くまでに、何箇所か遷座してきており、その地を元伊勢という。
伊勢にたどり着くまで90年?34年?
倭姫命世紀という書物にまとめられているが、関係者の思惑がだいぶ入っているらしい。
二十数箇所、結界になってるなんて話もあるが。
倭大国魂神は渟名城入媛命(ヌナキイリビメ)に託し長岡岬に祀らせた。
しかし渟名城入媛は身体が痩せ細って倭大国魂神を祀ることができなかった。
(垂仁天皇の時代)