神社へ通うようになったのは何故か?(2012年版)

神社

夏以降、神社へ通うようになりました。通うというか、現時点ではひたすら行きまくっているというか…。何故そんなに行きまくるのか?をちょっとまとめてみようと思います。

 

個人も集団も、継続には骨子となるものが必要?

今年は会社の経営を立て直すという仕事をしていまして、それに関係する書籍を何冊か読みました。経営について考えると、理念という言葉がよく出てきます。それについてここでは語りませんが、企業が事業を継続していくには、理念が必須と僕は思うようになりました。

僕の周辺で、時代が変わるという話題が出始めたのが2009年ぐらいしょうか。そんなさなか自分がどう生きて行くか?を考えたりするわけですが、自分とはなんだ?あたりを確認してみると、色々なことをしていてどうも説明がしずらい…。それは以前からわかっていたことなのですが、説明しずらいことがなんか致命的になりつつあるかも…と思い、やること絞っていかないと…と舵をとりはじめたのが、2011年末でしょうか。2012年の冒頭のブログにそんなようなことを書いています。
しかし何かに絞っていくには何らかの指針、企業でいえば理念が欲しくなります。というか、それがないと選択がとてもしにくいわけです。

手塚治虫の「ブッダ」を読みました。宗教というものに対して僕はあまり良いイメージをもっていません。特別に嫌な体験があるわけではないのに何故ですかね…。オウム真理教とか、そういった怪しげな団体の存在のせい?とも思いますが、そういったものもテレビで見る世界なのでリアリティがないです…。とすると、教育のされ方に関係するのですかね?
本題からずれてしまいましたが「ブッダ」です。シャカ族の王子・シッダルタの生涯に関する漫画ですが、その中でシッダルタの苦悩が色々と描かれています。いきなり結論ですが、仏教の教えとはシッダルタが苦悩し、自分や他人と向き合って向き合って、考えて考えて…、を繰り返して行きついたものであると知りました。手塚治虫の「ブッダ」で真に受けてしまっていいのかわかりませんが、そうして生まれた教えは理念と言い換えてもよさそうで、それがあるからこそ2000年以上も続いてるのでしょう。

ここ1〜2年、他人との関係、家族との関係、子どもの教育について考える機会が何かと多いです。これらを理解したり、良くしていくには、自分の心と目茶苦茶向き合わないといけないようで、これが実に難しい…。こんなに難しいのに誰にも教わったことがないし、何かに教わることがなかなか受け入れにくい…。なのでまだ全く語れない領域ですが…、特に「関係」という部分。たとえば家族との関係。家族って、結婚して子どもできたら家族なわけですが、それだけでは続けるのが難しいようなんですね。僕は結婚して10年を超えたあたりです。外からはうまくやってるように見えるかもしれませんが、外見ほどではありません^^; 価値観の共有、承認はぜったい必要でしょうし、常に対話も必要です。そして、できれば家族としての明確な価値観がある方が良いかもしれません。(うちは家族のビジョンってのを作ってみたりもしました)

そんなこんなで、個人も(家族や)集団も、何か骨子になるものが必要だ、と思うようになりました。
宗教は弱い人がすがるもの…って思っていたこともありますし、そう言う人けっこう多いですよね。人間ってそんなに強くないですし、自分の信念や理念を完全に創造するのは相当難しいことかと思いますし、他から学べぶということは人間の成長に必要不可欠かと思います。

 

日本人とは?と、日本の伝統的な信仰について

話しは少し戻りまして、自分とは何か?について。自分とは何か?について考えていたら、(周辺の影響もあって)日本人とは何か?という話題にいきつきました。そうすると日本の神話に触れないわけにはいきません。古事記、日本書紀は読みにくい…という思いが強いので、超ライトな要約本を何冊か読んだりしました。神話っておとぎ話しのようなものだと思い込んでいましたが、国の成り立ちについて書かれていたのですね…ってことを39歳になって今頃知った次第です…。(←これは恥ずかしいことだと思う)
その流れで「神道」という言葉を知りました。日本の伝統的な信仰ですね。他国な主な信仰は一神教であるのに対して、日本は多神教であることを理解しました。信仰は国の成り立ちと密接であり、存在の前提みたいなものなので、今の日本に、急に違和感を感じるようになりました。日本という国は世界でもっとも長続きしている国であることも知り、それはその前提があるからこそといえるのに、その前提をどんどん崩しているのが今の日本? それが始まったのがGHQが来てからとか、そもそも大東亜戦争とはなんだったのかとか、そういった歴史背景の一説を知り、経済とは別の視点で、日本はこのままではまずいよね?と思うようになりました。

またずれちゃいましたが…。神道には絶対的な教えがないので、自分にはとても受け入れやすいものでした。そして神社です。神社には神様が祭られているわけですが、その神様は多種多様。そして神社は全国どこにでもあって、ちょっと探せばすぐに見つかる。どこでも見つかるのだけど、それぞれの神社は繋がっていてそれはネットワークのよう。ものすごい数があるからコンプリートもしたくなったりとか、どこかへ行く理由づけも容易になったりとか。神社へいくと様々な建物や立地背景で、写真を撮るのも楽しい。もちろんまず最初に神様にご挨拶するわけですが、そういった行為は自分の気持ちをリセットするのにもいいですし、なかなか気分が良いものです。これを続けていることでもしかしたら良くなっていけるかも…等と、神社をわまるのはなかなか楽しいわけです。

 

まとめ

と、なんか話しがバラバラに書かれているようにも見えるかもしれませんが、それぞれが派生していって神社へいきついた次第です。12月も沢山生きましたが、来年も沢山行こうと思います。

この記事を書いた人

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