「茅の輪」の概要
茅の輪は「ちのわ」と読む。
参拝者がくぐって罪穢れを祓うもの。
6月末の夏越の大祓、12月末の年越の大祓の時に神社の境内で見られる。
「ちがや」を輪にして作られている。
「ちがや」はイネ科の植物。
くぐり方は、右回り、左回り、和歌を唱えながらなど神社によって異なる。
大抵は設置された茅の輪の横に、くぐり方が掲示されている。
この和歌は12世紀から使われていたことがわかっており、少なくてもこれより続く行事であるが、どのように広まったのかはわかっていない。
スサノオノミコト、牛頭天王をまつる神社で多く見られるらしい。
和歌について
いつかのパターンがあるようだが、以下のものだけを唱えるのがもっとも簡略化されているもののよう。
水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり
「茅の輪」の由来
「釈日本紀」の中で引用されている、「備後国風土記」に記されている。
由来の地となるのは、備後国一宮・素盞嗚神社(広島県)の末社。この神社は現存している。
由来となる物語
武塔天神が南の海の神の娘に、夜這いにでかけたが遅くなったので、ある兄弟に宿を借りることにした。兄・蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しく、弟・巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福だった。弟は宿を貸さず、兄は宿を貸してもてなした。
数年後、武塔天神は恩返しのために八柱の子を率いて蘇民将来を訪ね、「茅の輪を腰の上に着けさせよ」と言った。蘇民将来は言う通りにして家族に茅の輪をつけた。その夜蘇民将来一家以外は疫病で死んでしまった。武塔天神は「我はハヤスサノオノカミ。後に疫病が流行ったら、蘇民将来の子孫といい、かやの輪を腰の上に着けよ、すれば災厄は免れるだろう」と言った。
「茅の輪」に関するその他の話
由来の物語にあるように、茅の輪は腰な上につけるものであって、身につければよいことから首からかけている者もいたらしい。
御香宮神社(京都)では、授与した茅の輪を鉢巻のように頭に巻く習慣がある。
茅の輪はしめ縄の原型であると考えられるらしい。茅の輪を解いて一本にしてあつかう習慣もある。
茅の輪を身につけることは疫病から身を護る呪術の一種である。これが年中行事となって入り口、社殿、鳥居などに張られるようになった。伊勢などでは玄関に年中貼られている。
さいごに
茅の輪についての話はこれらに限らなく多岐にわたる。神社検定テキスト7に詳しく解説されている。
参考図書など
大辞林