祭神
- アマテラスオオミカミ
- コトシロヌシノミコト
- 他三柱
- スサノオノミコト
- ツキヨミノミコト
- ワカヒルメノミコト
創建背景
- 四天王ができた(593年)後に、西側の鎮護のために創建(600年)
- 四天王寺ができたときに外の守りを固めるために作られたとされる7つの神社があるが、この中には含まれていない(四天王寺七宮)
- 当地は、かつては海沿いで、宮中に鮮魚を献進していた記録がある(平安時代 = 794-1185年)
- 今宮村は漁村だった(鎌倉〜室町の前半?)
- 四天王寺の西門に「浜の市」(という市場)が開かれ、その守り神として恵比寿がまつられる
- 四天王寺とは明治維新頃まで関係が続いた
- 大阪の商業発展と共に、大阪の商業を守る神として厚く信仰されるようになった
- 十日戎の行事が賑わいはじめたのは江戸時代になってから
八坂神社との関係
- 当社に祀られるえべっさんは、八坂神社の境内にある蛭子社(コトシロヌシ)から分子され、八坂神社の氏子が今宮に移り住んで祀ったことに始まると、八坂神社は言っているそう
- 今宮戎神社の創建は600年、八坂神社の創建は656年ということで、あれ?とよぎる
- 今宮戎神社がある地には、コトシロヌシが始めから祀られていたわけではなさそう(多分間違いないが、じゃぁなんだったかはよくわからない)
- 八坂神社と今宮戎神社は、現在も交流があるらしい
- 西宮神社からの分霊説もある(西宮神社はヒルコだけど)
- 今宮の地名の最古の記録は戦国時代で、それ以前のことは記録が現存しない
廣田神社との関係
- 今宮戎神社の北側には、廣田神社がある
- 四天王寺の鎮守
- 今宮村の産土神(生まれた土地の守護神)
- 祭神は ツキサカキ イツノミタマ アマサカル ムカツヒメノミコト
- アマテラスオオミカミ の荒御魂とされている
- 荒御魂は、その神霊の荒ぶる一面のこと
- 一つの神霊には四つの側面があるという概念のうちのひとつ
- 伊勢の神宮(内宮)にある、荒祭宮の神様と同じ
- アマテラスの荒魂はセオリツヒメとされることもあるが…
- この位置関係は、西宮神社における廣田神社の配置と同じ
- 廣田神社(西宮)神功皇后の時代(200年代)の創建
- 今宮の廣田神社も同じぐらいか?と考えられている
- (多分書かれていないのだが)祭神にサカヒコナノミコトも祀り、この神はアカエ(エイ)に乗り訪れる智恵の神様とされる
- 無病息災・痔疾をはじめ難病治癒にご利益
- 叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願を叶えるともいわれる
- アカエイの絵馬が多数ある
- 海沿いだっただけに?
- 長田神社の境内にある楠宮稲荷にもエイに関する言い伝えがある(関係あり?)
- 江戸時代にはうっそうとした森の中にあったらしい
- (想像)当地には、先に廣田神社があり、後に(普通の)アマテラスをまつり、四天王寺の守り神となる、後に八坂神社から勘定され、現在の体裁へと繁華していった?