熊野とはどういう土地なのでしょう?
DNAに盛り込まれている……と言ったらちょっと言い過ぎかもしれませんが、「熊野」という土地が気になる、憧れる、といった人は多いのではないでしょうか。
神社好きはもちろんのことです。
しかし熊野にイメージすることは様々で、これといった定まりもなく、実態がはっきりとしません。
簡単にあげてみても、
- 熊野神社の総本山
- 神話の地
- よみがえり、冥界との接点
- 神武東征の舞台
- 神道、仏教、修験道、それ以前の信仰が入り混じる
- 伊勢と肩を並べる
- カラス文字と牛王宝印
とバラエティに富んでいて、熊野を研究する本を手に取っても、それぞれの解説や跡を知ることはできても、これだ!となかなか掴みとることができません。
だからこそ魅力溢れ、憧れるのかもしれませんね。
本記事では熊野を読み解くところまではできませんが、要所、見どころについてまとめていますので、旅の参考にしてもらえればと思います。
そして是非熊野の地に足をすすめ、全身で熊野を感じていただきたいと思います。
この工程は、1泊2日あれば消化できると思いますが、できれば前乗りをして、スタートは早朝から始めると、各地を充分に見て回ることができると思います。
大馬神社
おおまじんじゃ、と読みます。
巨木が立ち並び、苔むして、人もあまり寄り付かない、とても清々しい神社です。
写真には含めていないですが、巨石もゴロゴロと転がっています。
参道は小山を登る感じですが、数分で本殿につくのでご安心を。
熊野へ訪れる人々を脅かす賊を坂野上田村麿が鎮圧。
二度と悪さをしないように、賊の頭の首を落とし埋めたのがこの地の始まりとされるのは、平安時代のこと。
アマテラス、アメノコヤネ、ホンダワケなどの神様をまつり、熊野国の総鎮守もつとめます。
本殿裏には滝が流れ、その下流は天然の手水舎になっています。
参拝した当日はお祭りの前日ということで、地元の皆様が草むしりをされていました。(2017年7月31日のことです) こちらの橋はまもなく塗り替えるとのことで、その前の貴重な一枚。
大馬神社から海に向かうこと20分、横から見た獅子のように見える獅子岩。
大馬神社の阿の狛犬とされています。
参拝中には行きにくいので、前か後に工程を組むとよいと思います。
神仙洞にある人面岩が吽の狛犬だそうですが、現在はやや残念な状況のようで…。
産田神社
うぶたじんじゃ、と読みます。
弥生時代からあるといわれる古社。
ひっそりとしたたたずまいは、神話で伝えられる出来事を物語っているのでしょうか。
神話では、イザナミはカグツチを産んだ時に焼け死んでしまった、と伝えられます。
そしてその現場候補のひとつが当地。
黄泉にもっとも近い場所の1つとも言えましょう。
本殿の目の前までいくには、靴を脱いで、白石の上を歩いていきます。
ここに落ちた枯れ葉などは掃かずに手で取り去るようにと、昔から大事に扱われてきたそうです。
1960年、この積み石が二千年前の祭祀跡と判定されたそうです。
白黒で面白いと思っていたら、熊野でとれる那智黒石だと思われます。
碁石、すずりなどに使用されるそうです。
境内の摂社にて。
花の窟神社
はなのいわやじんじゃ、と読みます。
産田神社のセットといえる神社です。
社殿はなく、巨石がご神体。
それはどうやら巨大な墓石といえそうです。
神話で焼け死んだと伝わるイザナミと、愛する妻を失った父から殺されたカグツチの墓(候補の1つ)といわれるのが当地。
その魂を祀るために、花を飾り、笛太鼓を鳴らし歌い踊って祭りすることが、花の窟のいわれだそうです。
こちらはイザナミがまつられています。
こちらはカグツチをまつります。
この神様は防火で有名ですが、イザナミが最後に産んだ、父から斬殺された、血から多数の神様が生まれたので、生と死、破壊と再生といったテーマが詰まっています。
イザナミの子にふさわしいですね。
まん丸で可愛らしいですよね。
こちらの奥に黄金竜神がまつられます。
社殿に竜神祝詞がおいてある場合がありますので、ぜひ読み上げてみてください。
ゆたかな参拝体験となることでしょう。
ちょっと一息
花の窟神社の向かいには「道の駅・花の窟」があります。
こちらで地元のもののお買い物や、お茶をのみながら休憩することができます。
神内神社
こうのうちじんじゃ、と読みます。
正確なことはわかっていないようですが、紀元前より神様がおりる地とされていたようです。
鳥居をくぐると、樹々と岩が一体化して境目がわからなく、想像もつかない程の時間をかけて今があることを感じることができるかと思います。
周辺も歴史が詰まっているので散策してみると面白いです。
拝殿横の社殿に「神内の伝承や昔話」という冊子がありますので、要チェックです(値段は書いていないですが、お心付けを置いていきましょうね)
イザナギ神、イザナミ神が一女三男を産んだ地と伝えられる地で、かつては神皇地(こうのち)と呼ばれていたいたそうです。
アマテラス神から初代天皇につづく五世代の神々をまつります。
子宝、安産の祈願に訪れる方も多いそうです。
当社は本殿がなく、巨石がご神体になります。
熊野にはそういった神社が多かったそうですが、明治以降少なくなってしまったようです。
由来はわかりませんが、蘇りの木と言われているそうです。
熊野は蘇りの地といわれることに関係しているのでしょうか。
生命力溢れる大先輩であります。
こちらは安産樹と呼ばれます。
同化してわかりにくいですが、木の根幹が自然石を包み込んでいます。
お母さんが子どもを大事に抱えているようでありますね。
横を流れる神内川を100m程下ったところにある古神殿。
原始時代からの神殿といい伝えられ、屋根の形跡があるそうです。
更に下流の禰宜島の巫女が神さまのお告げを言いわたす場所だったとも伝わり、当社の元宮と考えられています。
現在は私有地らしいので、散策は要注意です。
禰宜島の話
子安の宮とも呼ばれる神内神社では、子授け、安産、子供の成長などのお参りや祈祷が盛んに行われてきました。
一方、近隣の禰宜島といわれる地では、子だくさんで生活に困る母親が、祠にある井戸の水を真夜中に浴び、子どもができないように祈る、ということが行われていたそうです。
それでもできてしまった子どもは水神さまに返したという伝説もあるとか。
祠の神さまは裏神さまと呼ばれていたそうです。
熊野速玉大社
熊野信仰の中心をなす一社。
どこを見ても隙のない美しさがある神社です。
今回は参加できませんでしたが、熊野観心十界曼荼羅の解説を拝聴することができるそうです。
熊野三山の一社。
熊野信仰の原点ともいわれる霊石ゴトビキ岩に対して当社を新宮と呼ぶそうです。
社殿ができたのは約1900年前。
クマノハヤタマ神が主な神様で、イザナギ神とも解釈されます。
素晴らしく美しいですね。
社殿の屋根を撮るのが好きであります。
ご神木であるナギの木は平重盛によるもの。
ナギの葉は熊野の神さまのお告げが現れるといわれ、熊野詣の証でもあるそうです。
熊野詣の最中に平治の乱を知った平清盛が、熊野権現のご加護としてナギの葉を身につけて京都に戻り、勝利おさめたとか。
境内の恵比寿神社には木槌が。
はて?と思い調べると、えびす様は耳が遠い説があるそうです。
大阪の今宮戎神社の本殿裏にはドラがありましてこれも謎でありましたが、えびす様をお呼びするためのアイテムのようであります。
熊野といえばヤタガラスです。
神話に登場し、後に初代天皇となるカムヤマトイワレヒコを導いた存在です。
そしてとても謎多き存在でもあります。
三本足とされますが、これを証明する記録はないそうです。
当社では「天・地・人」の象徴や、代々熊野の神さまに仕えた宇井氏、鈴木氏、榎本氏をあらわすと考えているそうです。
神倉神社
ちょっとした山登りになる神社です。
片道はだいたい20分。
前半はかなり急な階段が続きますが、中盤からゆるくなるのでご安心を。
もし急な階段がこわい場合は、別ルート(女坂)もあるのですが、そちらもなかなかワイルドのようです……。
車で移動している場合、周辺道路がせまいのでお気をつけて。
駐車場の横に出雲大社分詞があるので、こちらにも是非ごあいさつしたいところ。
熊野信仰の神々がもっとも最初に降りたのが当地の霊石ゴトビキ岩といわれますが、現在はアマテラス神とタカクラジ神をまつります。
カムヤマトイワレヒコが大和を目指した際に登った天磐盾が当地とも伝わりますが、熊野の神の古い書物にはそれを裏付ける記述はないそうです。
社殿の少し右側に、祭祀跡と思われる場所が残っていますので、そちらにも参拝されるとよろしいかと思います。
ゴトビキとはヒキガエルのことだそうです。
538段ある階段は源頼朝からの贈り物。
毎年2月6日には上り子と呼ばれる男子が、松明をもって階段を駆け下りる祭りが行われるそう。
女人禁制、参加する場合も肉食を断ち、慎んだ行いで身を清めることが求められるそうです。
当方は、毎日登り降りしている年配の方にガイドしてもらうことができました。
サルタヒコのお導きのようですね。(当社摂社にサルタヒコがまつられています)
かき氷を食べよう!
熊野速玉大社と神倉神社の間に、仲氷店というお店があります。
地元の何気ないお店ですが、かき氷西日本ランキング9位にランクインしたというスゴイお店。
名水百選にも選ばれている水から72時間かけて凍らせた純氷をつかい、自家製のシロップで仕上げ。
都心なら千円以上しそうなかき氷が、なんと数百円中盤でいただけてしまいます!!
熊野那智大社
熊野信仰の中心をなす一社。
山の中腹にあり、大自然に囲まれながら、眺めもすばらしい。
熊野三山は、山にこもって厳しい修行をおこなう修験道がもっとも発展した地でありますが、当社にその名残をとても強く感じました。
初代天皇が即位された時に、那智の滝をオオナムチ神とみたててまつったのが、那智山信仰の始まりとされます。
社殿ができたのは今から約1700年前で、クマノフスミ神を主にまつります。
この神様はイザナミ神とも解釈されるようです。
熊野といえばヤタガラスその2!
見方によっては熊野を制圧した一味のシンボルであるヤタガラス。
そのヤタガラスが熊野三山の神紋になっています。
せめて本来あったものの名残を……と考えそうですが、微塵もかけらもない。
なんとも不思議ではありませんか?
こちらも大変立派なご神木。
鳥居をくぐり階段を降りると、ご神木の幹の中を通り抜けることができます。
ただし有料であります。
遠くに那智の滝を見つけることができます。
こちらで気持ちを高めてから、飛瀧神社へと参りましょう!
飛瀧神社
鳥居を目の前にすると、早く先へすすみたい!と胸が高鳴ります。
参道に立ち並ぶ巨木、徐々に聞こえている滝の音を堪能しながら一歩一歩進みましょう。
熊野那智大社のはじまりはこちらが起源。
大きな滝をオオナムチ神とみたててまつりました。
瀧が御神体であり社殿はありません。
岩壁はマグマがつくった火成岩でできており、落差は133m、滝壺は深さは10m、水量は1t/秒。
那智の滝には、有料になりますが近くまで寄ることができます。
本来、那智の滝とは、滝ごもり修行の場として使われた48の滝の総称だったそうです。
とても清々しく、眺めていると時間を忘れてしまいますね。
岩盤の上、土が浅いところに根を張った木は、このように根が表面に出てくるそうです。
偶然かもしれませんが神聖な場所でよく見かける気がしますね。
すっと思い出せるのは鞍馬山とか。
大斎原
熊野本宮大社の跡地になるのが当地、大斎原。
当方はこちらを最初に参拝してしまいましたが、
- 熊野本宮大社
- 産田社(この記事では写真なし)
- 大斎原
の順番で参拝するのが望ましいようです。
和歌山県田辺市本宮町本宮431
(駐車場あるのですがGoogleマップではたどりつけなさそうです)
熊野本宮大社は明治22年に洪水で流されてしまい、その後、場所が変わりました。
その変わる前の場所がこちら。
現在も一部の神さまがまつられ、神事も継続されています。
境内は撮影禁止。
たくさんの神社を参拝してきていますが、こちらの清々しさは……ハンパないです!!
洪水で被害を受けたのは、中四社、下四社。
その他摂社が、大斎原にまつられ、上四社は移動となった熊野本宮大社にまつられます。
おそらくこれが、参拝順の背景かと想像します。
熊野の神はこの地のイチイの木の枝先に、3枚の月形となって降り立ったと伝えられるのは、崇神天皇の時代(紀元前)のこと。
こちらの鳥居は高さ33m、日本一の高さを誇ります。
熊野本宮大社
移動でこの地にやってきた……とは思えないほど、風格のある神社です。
神道、仏教、修験道をこえた信仰がここにありと感じ、社殿を前にすると頭を下げることしか思い浮かばない……という感じでありました。
熊野三山の筆頭であり、全国にある熊野神社の総本社。
崇神天皇の時代(紀元前)に社殿がつくられ、ケツミコ神を主にまつります。
この神様はスサノオ神とも解釈され、樹木を司どり、木の国(和歌山のこと)の語源もここからと伝えられます。
本殿は撮影禁止なので境内の雰囲気のみで……。
熊野といえばヤタガラスその3!
熊野三山の各社には、それぞれデザインの違う熊野牛王符と呼ばれるお札があります。
火除け、盗難除けなどに使う場合と、誓約書に使われることもあったそうです。
熊野の神さまとの契約のうえに誓約を交わすわけですから、とても重みがあったことでしょう。
ところが三種類のお札、サイズがバラバラなのをなんとかしてもらえないでしょうか……。
玉置神社
熊野本宮大社から約50分北上し、より深く山へ入ります。
駐車場から本殿までは約15分ほど歩きます。
また、参道をすすまず玉置山頂経由で、玉石社、本殿、というルートもあります。
当方としては、後者をおすすめします。
ヤタガラスに導かれたカムヤマトイワレヒコが立ち寄り、神話につたわる十種神宝の「玉」を置いて武運祈願したことが由来、とされる玉置神社。
クニトコタチ神、イザナギ神、イザナミ神を主にまつります。
熊野三山の奥の院ともみなされ、太古からの信仰の地。
玉置山の中腹にある玉石社。
社殿はなく玉石に礼拝します。
玉置神社はこちらが起源であると伝えられます。
このあたりで不思議な体験をされる方が少なくないとか。
玉石社のすぐ横にある三ツ石神祠。
磐裂神をまつると書かれています。
なにやら激しさを感じるご神名でありますね🙏
玉置山には巨木が立ち並びますが、もっとも印象的なのがこちらでありました。
さいごに
本記事で登場した神社をまわることで、おおよそメジャーなところは参拝したと思ってよさそうですが、熊野に関する書籍を読むと、真の熊野を感じるには、忘れ去られつつある地に立ち寄ることが必要そうであります。
次回はそういったところにも立ち寄れたらと思います。