ビジョンをもつことは大事ではない、のかもしれない。
と過ぎったので、それについて考えてみたいと思います。
ビジョンとはなんだろう?
ビジョンとは「将来のあるべき姿を描いたもの」と辞書にあります。
ビジョンという言葉が出てくる話題は、
- 事業の話
- 将来の話
あたりかな。
「この事業のビジョンは?」
「この組織やコミュニティのあるべき姿は?どこを目指している?」
「あなたのキャリアビジョンは?」
こんな出現の仕方でしょうか。
自分はディレクターという役割をすることが多く、
「どうあるべきか?」
「完成した時にどういう状態か?」
を描いて、そこに向かってすすんでいくのが基本的な行動です。
冒頭に書いた「将来のあるべき姿を描いたもの」という説明がシンプルでわかりやすいですね。
ここで僕が気にしていることは「べき」という言葉があることで、ビジョンとは「べき論」なんだなということ。
「べき」に反応する理由
僕は、自分を知るということに関心があって、ワークショップに参加したり、瞑想したりしています。
そこで出てくる言葉に「スーパーエゴ/超自我」というものがあります。
辞書には、
良心の機能を営むもの。イドからくる衝動や自我の働きを道徳・良心などによって抑制し、道徳的なものに向けさせる。
とあります。難しいですね。
この中でキャッチしておきたいのは「抑制」という言葉で、抑えて止めることを意味しますね。
人間にとってこの抑制機能は必要なもので、これがなければ社会に秩序はもたらされません。
(北斗の拳みたいなワールドになるの?)
この抑制機能は、生まれ育った環境、深く関わった人(特に両親)、そこで起こった出来事によって培われていくもので、外的要因からもたらされるものです。
個人差はあるのですが、この抑制機能によって苦しんだり生きづらいと感じる現代人は多いと思いますし、自分もその一人です。たとえば、
これやってみたいな!
でも、自分はまだそのレベルに達成してないから、まだできない……とか、
誰からも反応されなかったら嫌だからやめておこう……とか、
自分には無理だな……とか。
このような会話を自分の中で繰り広げて、やめてしまう。
やりたいのに抑制してしまう。
でも、その思いは消せなくて悶々とする。
みたいなやつです(笑)
これは苦しいことなんですけど、(笑)としたのは、たとえで書いておきながら、自分の中でも起こっていることなのでなんとなく笑ってしまいました(笑)
戻りますが……
「べき論」とは、抑制力が強いんですね。
「こうあるべきだ!」という言葉の後には、
「そこからずれるものはダメだ!悪だ!やってはいけない!間違っている!」
という言葉が潜んでいますね。
「べき論」は正論に聞こえることが多いと思うのですが、それは「否定」とセットなんですよね。
何事にも二面性ありですが、「正しい!」としたものの裏には「悪だ!」が必ずあるわけです。
二面性については自分がいつももっている視点のつもりでしたが、べき論に関する二面性は今頃気づいた次第であります。
多様性の時代にとっての「べき論」
昨今、多様性という言葉や、みんな違っていい的な価値観に関する話題をよく耳にします。
現実社会でも聞かれますし、占星術からみる時代性のキーワードにもそういったものがあります。
そしてそれはこれからが本番です。(占星術的にはこれから2000年続きます)
自分も他人も認めていこうぜ、という流れになるのですが、これに「べき論」ってえらい邪魔なんじゃないかなと思いました。
べき論にとっては、「こうあるべきだ!」からズレてしまったものはダメなので、べき論が自分の中にあればあるほど、他のことは認められない、受け入れられない、ということになりがちです。
これでは多様性もへったくれもありません。
もう一歩つっこみます。
僕は、多様性を受けいれるということは、自分の考えとは違ったものがあることを認めること、と思っていました。
(↑これ、人によっては別に普通じゃんと思われるかもしれませんし、次に書くことを含む方もいらっしゃるかもしれないです)
しかし「認めるけど、僕はそれは採用しません、やりません、僕とは別ものもです」では、本当の意味で多様性を受けれいれたことにはならないんだな、を実感しつつあります。ここで不足しているのはコラボレーション精神でしょうか。
これをしているうちは「べき論」から離れられなくて、新しい価値観の流れにのっていくことはできないのでしょう……。
それは苦しいことだと思いますし、自分の体感としては苦しいです。(今回の気づきで最終回ぐらいにしてほしい)
まとめ
これで最後になりますが、どのようにまとめましょうか。
だから「ビジョンはあるべきではない!」としたら、残念な感じです(笑)
「これから自分はどうあるべきか?」もなんかやばいですね(笑)
今自分の中で起こってることをキャッチして、認めて、それを大事にすること、抑制の声が聞こえてもそれに飲まれないこと、そんな風に生きられたらよいのかな。
これができれば新しい価値観の流れにのっていけそうです。
こんな話題ずっとしていますが、ビジョン、べき論、多様性、とみていくことで、腹落ち度が深まった気がします。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
これを読んで思うことや意見などあれば是非お寄せください。
Facebookのコメント欄、連絡フォームなどからお願いします。